| 6月2日(日) 晴れ | ◆このページをとばすときは ここをクリック◆◆◆ |
最終日の今日は、いよいよ、この旅行でもっとも楽しみにしていたことのひとつ、Camden Yardsでの大リーグ観戦がメインです。実は今回の旅行の日程を決めた大きな原因のひとつがこれだったのでした。ご存じの通り、イチローはじめ、佐々木、長谷川と3人もの日本人大リーガーを抱えるSettle Marinersは、私たち、アメリカに住む日本人にとっても、いちばん応援したいチーム。でも、本拠地Seattleが西海岸であるがゆえ、New Yorkで直接彼らの応援をできる試合の数は、とても限られています。かつ、New Yorkの場合、対戦相手が人気の常勝軍団New York Yankeesなので、なかなかよい席のチケットが手に入りにくいもの。そこで、目を付けたのが、ここ、Baltimoreを本拠地とするBaltimore Oriolesとの対戦でした。New York同様、試合数は少ないものの、1年に数回は必ずここでの対戦がありますし、New Yorkに比べたらチケットはずっと手に入りやすいに違いない・・・ということで、お天気はちょっと賭けでしたけれど、週末に対戦があったこの日程に合わせて、Baltimoreへの旅行を計画したのでした。
そして、事前にオンラインでチケットを購入した試合は、今日、日曜日のデーゲーム。試合開始は午後1時半なので、それまでは最後の観光をすることにしました。ホテルをチェックアウトして、Inner Harborを横切ったあたりの駐車場に車を止め、向かった先は、この街で生まれ育った世紀のホームランバッターBabe Ruthの生家にあるBabe Ruth Birthplace and Museum(地図はこちら)。午後ゲームを見る球場のすぐ近くで、ちょっと奥まった路地の中にありますが、途中から、道路にはボールを象ったサインが書いてあってそれに従って歩いていくと、たどり着くことができました。
本当に住宅地の一角にある、少し大きい家くらいといった建物で、日曜日の午前中だからか、通りを歩く人もおらず、ひっそりとしていました。ホームランをガンガンかっ飛ばすバッティングのスタイルと、その豪快な性格で、大リーグ史上、もっとも皆に愛された野球選手といえるBabe Ruth。普通の家を改装して展示室を作っただけという、狭い室内に入ると、意外とたくさんの人が熱心に展示物を見ていました。
不世出の大選手も、少年時代はとても不遇で、実の親がいながら養護施設に預けられてしまい、手のつけられない不良少年になりつつあったところに野球と出会い、その才能を開花させることによってスターへの道を歩んでいく・・・という伝記映画を以前に見たことがあります。2階に、彼が生まれた部屋というのが再現されていて、出生証明書の拡大したものも飾ってありましたけれど、きっと、彼が生まれた1895年当時の家はもっとずっと質素だったに違いありません。今はもうあんまり流行らないかもしれないけれど、プロスポーツ選手には、そういう逆境から自分の力でのし上がっていく、ハングリー精神みたいなものが、時にはとてもよい方に作用するということの一例かもしれませんね。

記録を作ったバットや往年の写真、大活躍したNew York Yankeesのユニフォームなどに混じって、ちょっと興味を引いたのが、漢字が書いてある似顔絵。「日米大野球戦」という文字から察することができる通り、Babe Ruthがアメリカチームの一員として来日し、日本のチームと対戦したことのユニフォームと試合のパンフレットなのでした。後から、偶然、新聞のコラムで読んだのですが、1934年に行われたこのイベントに、ルースは当初参加するのを渋ったのだそうです。このとき30代後半で、そろそろ選手生活も晩年に入りつつある気まぐれな大選手は、わざわざ海の向こうの小国なんかに行きたくなかったらしいのですが、関係者が、この似顔絵が表紙になったパンフレットを見せて、「でも、もうこれを作ってしまったから。」とお願いしたら、これが気にって、結局来日することになったのだとか。大選手が来てくれたおかげで、この日米野球は大成功を収め、その後の日本のプロ野球発足への起爆剤となったということなので、この似顔絵は、とっても重要な役割を果たしたものだったのですね。
Babe Ruthのもの以外では、去年、惜しまれながら引退してしまった鉄人ことCal Repken Jr.の業績をたたえるための展示に、まるまる1部屋がさかれていました。この人は、今の大リーガーでは珍しく、選手生涯のすべてをBaltimore Oriolesひと筋で通した選手。連続試合出場の大リーグ記録を持つ、さしづめ、大リーグ版「鉄人・衣笠」(こちらが本家という話もありますが)。ただ、大リーグは、日本より試合数もずっと多い分、レギュラー選手は、必ず一定周期で欠場して休みを取るようなシステムをとっています。これはイチローもしかり。なので、Ripkenみたいな休まない選手はとても珍しいし、今後も彼の記録が破られる可能性はまずないといわれています。引退した今でも、テレビCMに出演していたり、彼の着けていた背番号8のTシャツを着ている人は、街中でしょっちゅう見かけるし、ある意味、Oriolesが生んだもっとも偉大なスター選手だったともいえるでしょう。私たちも、Oriolesで唯一知っている選手だったので、彼のプレーを見ることができなかったのはちょっと残念でした。
この博物館はしっかり入場料を取られますので、大リーグに興味のある方向き。そうでないと、かなりつまらないと思われます。私たちは、まあ、大リーグの中継もよく見る方だし、それなりに興味もあって出かけたものの、あっという間に見終わってしまいました。また、もし、行かれるのでしたら、博物館のHP(http://www.baberuthmuseum.com/)から割引券をプリントアウトしてお持ちになると、少しだけ割引されます。
まだまだ試合開始までは時間があったので、早めのランチを取りに、Inner Harborへと引き返してきました。この週末は、最後までお天気がよかったので、今日も昨日に負けないかなりの人出。湾内を航行する便利な乗り物である水上タクシーも、大勢の観光客をあちこちに運んでいました。ちなみに、この水上タクシー、少し前までは1社が独占だったようですが、今は、前からあるWater Taxiの他に、Seaport Taxiというボートもあって、微妙に違ったルートを走っているみたいでした。料金は同じで、1日中乗り放題で大人5ドル、子供3ドル。私たちは行きませんでしたが、アメリカ人なら必ず行く(!?)、国家発祥の地、国立公園になっている要塞、Fort McHenry National Monument and Historic Shrineなどにも行けるようです。湾の端に位置している私たちのホテルからは、これを使えば、すぐ湾の中心部にまで来ることができたのですが、いかんせん、気づいたのが最終日だったので、今回は一度も乗らずに終わってしまいました。
外を歩いていても暑いので、湾に面したショッピングモールHarbor Placeの中もちょっと歩いてみたりしました。夏らしいTシャツや短パンなどの衣類、子供向けのオモチャ、キーホルダーやペナントといった土産物など、とりたてて珍しいものはない観光客向けのお店が並んでいましたが、この中で、やっぱり目に付いてしまったのは、名産のカニを象ったりマークが付いたりしたもの。目玉とハサミがついた赤い帽子とお揃いのTシャツは、かなり強烈だけど、子供なら着させてみたいお茶目さでした。
で、やっぱり、Baltimore最後の食事もカニで締めくくろうということになり、昨日の夕方に人々が美味しそうにシーフードを食べていたのが見えた、このモールの一角にあるPhillipsというシーフードレストランに向かいました。このレストランはガイドブックにも必ず出ている大きなレストランで、若者や家族連れにはおすすめの食べ放題のレストランと、普通にオーダーするレストランの2ヶ所があります。ちゃんとしたカニが食べたい私たちは、当然、普通のレストランの方へ。オープンエアのテラス席も人気でしたが、この後、野球観戦で、午後中青空の下にいることを考えて、冷房の効いた室内のテーブルにしました。
あたりを見回すと、ほとんどの人たちが、フライとかパスタみたいな料理を頼んでいましたが、私たちはあえて時価のHardshell Crabをオーダー。最初はMサイズしかないとのことだったのですが、途中でウエイトレスさんがやって来て「Lサイズもあったんだけど、どうする?」と聞いてきたので、迷わずLサイズに変更。目の前をフライやパスタのお皿が次々と通り過ぎ、ずいぶん待たされて、ようやく登場したのが、この茹でたてカニでした。一応、辛めのスパイスがかかってはいますが、殻を割って食べるので、中身はそんなに辛くありません。しばし、無口で木槌を握りながら、この山盛りになったカニと取り組んだのでした。味の方は、きっと、この日いちばん最初にゆでたLサイズのカニに違いなく、なかなか美味しかったです。小さめなハサミなどは、たまにパサパサしていたり、塩気が強かったりもしましたが、たいていはOK。これが時間がたつと、きっと水分が飛んで美味しくなくなってしまうのでしょうね。
お腹も満足したところで、いよいよイチローの応援。意外な展開を見せた大リーグ観戦は、続きで。
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